打ち上げられた亀さんは綺麗に真っ白な骨のみ残してさよ
いいな。南の島の砂浜で真っ白になるまで朽ちるのも。
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海岸を歩くなら満潮時よりは干潮時がいい。それも大潮の最大満潮なんかに合わせて歩くと、実に歩みは快調だ。満潮時には大きな岩ばかりが連なる為に、上ったり跳んだりして越えていかなくてはいけない難儀な磯も、干潮時ならばちょっと沖を回ればいいだけ。潮の引いたイノーの底はだいたいなだらかで、走れと言われれば走れる。この辺りにはまだ珊瑚は見えない。珊瑚はもう少し奥。海手に連なる。
写真は南風見田を西へ約2時間歩いたところにある大きな岩。なぜか広い海岸にポツンと転がっている。いや、鎮座している。通称トーフ岩(豆腐)。おそらく山の高~いところから台風や地震の土砂崩れでゴロンゴロンと転がってきたのであろうが、その大きさ、形は見事という他ない。
西表では本来、「イワ」と呼ばない。どんな大きな岩石も「イシ」と呼ぶ。だからこのトーフ岩も正しくはトーフイシ。ただなんとなく網取の「ゴリラ岩」と同じような匂いがある。多分、近世になって誰かが形から名付けた単純な名前のような気がする。ただ、一度は見ておきたい西表の光景の一つである。
9月27日、掲示板より。写真は家の西の道。左に見えるのが風で引っぺがされた我が家のトタン屋根。右側伝統的な珊瑚積の石塀も壊れている。
台風後、何通ものメールに掲示板の書き込みいただきまして、本当にありがとうございました。
返信できない旨の連絡のつもりで書き込みしたのが、余計に皆さんにご心配をおかけしてしまったようで、かえって心苦しく思います。申し訳ありませんでした。
あらためて、先日の台風での被害をお話します。
15日、夜中、暴雨域に入り、まず停電した為、寝室の襖を締め切り、家族で眠っておりますと、4時ごろ、寝室の外からボタボタバチャバチャと水が大きく落ちる音で目を覚ましました。
懐中電灯を点け、襖を開けますと、古いトタン屋と寝室のあるスラブ屋とのつなぎ目から雨水が滝のように屋内に流れ込んでいました。置いてあった箪笥、冷蔵庫が水を完全に被っている状態。
室内にもかかわらず、ドーンという風にあおられました。よろよろしながら、風の吹く方向を照らして見てみると、すでに北側の窓が吹き飛んでなくなっていました。そこから強烈な雨風が入ってきており、床はビチャビチャ。
パソコン、その他、大事な精密機器も水を被っています。
とりあえず、パソコンを避難させます。しかし、一番大事にしていた今は手に入らない図鑑類までは手が回りませんでした。
というのももう一つの北側の窓も破られ、吹き込んだ風でトイレと風呂場への扉が押し倒されたからです。気をつけながら見てみると、そちらの屋根はすでに飛ばされており、ただゴウゴウと天井のあった場所の空を雨と風が流れこんでいました。
真っ暗な中、どうすることもできず、ただ最後の砦の寝室の襖が破られないよう、台風が過ぎていくのを妻と二人祈りながら待つしかありませんでした。
幸いにもトイレと風呂場の扉、そして屋根が飛ばされたことで、風の抜け道ができたのでしょう。風はそちら側へ抜けて行き、子どもが眠る寝室は守ることできました。
次の日、台風が抜けた後、あまりの屋内の残状になにから手をつけていいか分らず、二人でぼおっとしてしまいました。
なくなった窓の修復、倒れた扉、室内の片付けに動き出せたのは2日後でした。
その次の日の夜には水も電気も復旧しました。
しかし、結局、石垣の方も被害がひどく、特に木材、トタンが卸しでも不足。手に入らない為、いまだに屋根は治せていません。
が、なにはともあれ、家族になんの被害もなかったこと、家財道具はけっこうやられましたが、家を出ていかなければならないほどの被害もなかったことは本当に幸いでした。
郡内ではもっとひどい被害を受けた方々がおり、僕の友人家族も2世帯が家を出ざるを得ない被害を受けました。
そういった方たちへの行政側の対策が早ければ、本当に同じ郡民としてありがたいのですが。
今回、台風後も復旧の為、ツアーを何日かキャンセルさせていただきました。楽しみに島にいらっしゃった方には本当にご迷惑をおかけしました。
また、最初にも申しましたが、励ましの書き込みを下さった方々には感謝しても感謝し切れません。僕も妻も非常に励まされ、こういうツアーをやっていてよかったと心から思いました。
どうもありがとうございました。
アーサを採ろうと思ってポイントに来たが、潮が引きすぎて採れなかった。アーサの着いた岩は既に完全に露出。今採っても、砂が沢山へばりついていて面倒くさいだけだ。
ふと、沖を見る。見えたのは点々と弧を描くように沖へと伸びる飛び石。これが魚垣だ。昔、魚垣はもっとしっかり整備され、今のように飛び飛びではなく、ちゃんと連なっていたのだろう。満潮時に海水と共に浅瀬に入ってきた魚は、潮が引くと、この魚垣の内側に残され、大海へ出られなくなる。魚垣の内側に残った水溜りには魚が集まっており、それを島人が獲る。
そんな漁である。しかし、今日の最大干潮17センチという潮では、まだ完全に潮は引ききっていない。魚垣を有効に使える大きな潮は一年にそうはなかっただろう。
そう考えれば、魚垣での漁というのは、島人の一種のイベント的レジャーだったのだろうな・・・と遠い昔に思いを馳せた。