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西表島の歴史

西表島の歴史

2008/05/22

ナーラミナトゥ(シムンダ付近)

僕自身、コース名で秘境!仲良川とは言っているが、実はこの流域、古くから人によって利用されてきた土地である。原生林でもない。
この川の中流域より下、田んぼが作れそうな場所はすべて田んぼだった。ここを耕作していたのは、僕が住む祖納部落の人々。現在、ナーラへのツアーは白浜部落よりカヤックで出発しているが、この白浜は祖納の人々の苗代だった場所。苗代とは稲が田植えに適する長さまで成長させる小さな田んぼである。
祖納の人々は、白浜よりさらに川からは距離のある祖納の浜より船を漕ぎ、ここまで耕作に来ていた。かなりの距離になる。
僕らのツアーは漕ぐのが目的になっている部分があるが、昔の人にとってはそれはただの手段。漕いできて、それから田んぼの重労働をこなしていたというのだから、凄い。
現在の祖納の青年は、海神祭で行われるハーリーレースでもなかなか勝てない。むしろ、カヤックのガイド経験がある内地からの青年を多く抱える村の方が、地元青年中心の祖納代表よりも早い。
が、つい先ごろまでは、ハーリーと言えば祖納と言われたぐらい、青年の漕ぎは力強く見事だったと言う。現在の部落に生きる青年としては悲しい話だ。
話がそれたが、部落の人それぞれがこの川の流域に先祖代々の土地を持ち、ここを生活の拠り所としていた。だから、ただ十羽一絡げにナーラの田んぼ(ナカラダ)ではなく、区別をする為にそれぞれの田んぼに名前があった。
それについては安渓先生の記述が詳しい。
名には歴史がつきまとう。名前のある場所というのは、何かの目的で以って名がつけられているのだから。
そういう意味でナーラは逆にすごいのだ。いちいち細かく名がある。小さな支流にも名がある。
この大きく豊かな川の隅々まで人々が利用していた証である。
今、ナーラに田んぼはない。40代の先輩が子供の頃、田んぼ仕事で連れて来られたと言っていたが、おそらくそれぐらいがこの川の田んぼの最後だったのだろう。
経済の構造が変わり、生活様式が変わった。島で育った人間が島以外でも生きていける世の中になった。島から若者は離れ、マンパワーを必要とする昔ながらの田んぼ作りは出来なくなった。
そして、代わりに起こった稲作の機械化。しかし道路のない川の田んぼに大きな機械は持ち込めない。
西表では田んぼは3年休むと駄目になるという。アダンが根を下ろし、木々が入り込み、土が腐る。
何百年続いたナーラの田んぼの歴史は終わってしまったのか。
もうすぐシコマヨイ(初穂祝い)。
この時期だけ歌うことが許される、あまりにも気高く美しすぎる唄「仲良田節」が聞こえる季節となる。