月別アーカイブ: 2009年3月

一歩一歩の積み重ねです。

今日、起きてみると体が非常にだるい。頭も痛い。やばい、風邪引いた。
昨日、泳いだせいかも・・・。と、午前中は布団で休ませてもらう。
明日は仕事だし、おまけに今日は僕と妻の結婚記念日。おまけに5周年だ。
夜は地元のレストランを予約している。
「今日、お食事行くのやめとく?」妻の言葉に「いいや、行く!」と答えたものの、腹に力が入らないので、声も出ない。だが、こんなのは日を改めればいいというわけではない。別の日には別の用事が入り、どんどん先延ばしになるに決まっているのだ。
そのまま、午前中は騒ぐ娘と叱る妻の大声のやりとりもなんのその、ほとんど意識を失うように眠ってしまった。
午後、目を覚まし、妻が午前中に焼いたパンを頂く。しんどくても、飯が食えるうちは大丈夫。そう思っているので盛大に食う。
そう言えば、朝より体は楽な気がする。これ以上、寝ていると別の疲れが出て、余計にしんどくなりそうな気がしたので、昼からは体を動かすことにした。
「大丈夫?」と心配されるも勿論返事は「どうもないよ、もう」
今日は、ゴーヤの棚を作っておこうと考えた。鍬を揮って畑を耕すよりは体に楽そうだ。なんと言ってもこの畑は掘れば掘るほど、ガヤの根っこが涌いてきてやる気を削ぎ取る。
ガヤの根っこ
早速、裏山に竹を切りに行く。
私も連れて行けと言うので、娘を助手席に乗せた。
が、なかなかいいサイズの竹が見つからない。いくつかの藪の奥に出入りし、なんとか15本ばかりを集めることができた。その間、彼女は「これママに」とピンク色の花を無数に摘んでいて束ねたそれはちょっとしたボリュームがあって、なかなか綺麗だった。
さて、この竹を切りそろえる。そして畑に深く打ち込んだ4つの杭に4辺を作り、そこに並べていく。たった、これだけのことが今日の僕にはなぜか重労働。
最後はへたり込んでしまった。
いつのまにか再び体がだるい。そして今度は明らかに発熱していた。
ゴーヤの棚
それでも、夫であり父である僕は最後の力を振り絞り、少々のお洒落をする。
そして、レストランへ、勇んで出て行く。
つい最近見た昔のブログのかけらを思い出す。
あれは、5年前の妻の誕生日だったか。
別のちょっと上等なレストランで食事をする僕と彼女。友人の支配人に撮ってもらった写真には、笑顔の2人しか写っていない。そして今、僕が妻に向けて撮る写真には、そう必ず小さな彼女がいる。
記念日
僕ら二人の宝物だ。
そして、小さな彼女の生きてきたわずかながらの年月が、僕らのこの島での一歩一歩なのだ。
朦朧とする頭で僕は二人に微笑んだ。

ゆっくり一歩

玄関の切花
玄関の脇に飾られたツツジの花。葉が見えないほどに咲いている。
今朝、畑仕事に出ようとして気付いた。
妻が北側の庭から切ってきて活けたものらしい。
うちの屋敷は北側が物干し&物置部屋になっていて、まず、僕は窓から庭を眺めるということがない。なので、こんなにツツジが満開しているとは気付きもしなかった。へえ、今年はこんなに咲いたのか、ちょっと驚き。と言うと毎年咲いてるわよ、と妻。
いつもシワシワに咲き終えた枝を剪定するぐらいが僕の仕事だったので、知らなかった。
しかしこの切花、全く、侘びも寂びもない活け様だが、なんだかいい。元気になる。そこで写真を一枚。
昨日けっこう頑張ったので、畑仕事は今日はゆっくりじっくり。北側のエンサイ用の畑を仕上げる。牧場からもらってきた堆肥を混ぜて、1週間以上は寝かしたので、しっかりなじんでいる。こちらの畑はどういうわけか、畝を作らない。雨が多い関係かもしれない。その分、楽といえば楽。
仕上げたところに妻と娘がエンサイの種を蒔いた。今年も美味しく育ってほしい。
しかし、昨日鍬を振りすぎて背中の筋が痛い。首の筋も違えたようだ。手の皮も所々、マメができ、いきなり分厚くなった気がする。発達したパドルダコのすぐ上に出来るところが憎い。パドルダコと同じ場所なら、きっと痛くもかゆくもなかったものを。

パドルダコと言えば、今日は友人のガイドさんが、僕らのために技術練習会を開いてくれることになっている。朝からやっているのだが、僕は妻から畑を頼まれていて、半分諦めていた。
が、昼ごろからソワソワしてくる。
「あの、練習会行ってきていいですか・・・?」
意外にこころよい返事。きっと昨日と午前中頑張ったからに違いない。
早速、カートップにカヤックを積み、トドゥマリ浜まで出かけた。
JSCA練習会
今日の参加者は3名だけだったようで、午後からだけの僕も遠慮なく参加させてもらえた。
今日の出来事。
これまで出来なかったロール、そしてハイブレイスが初めてできた。
ひそかに滅茶苦茶嬉しい。
自分は大きすぎて出来ないものと思っていたし、他のガイドさんからそう言われもした。が、できることがわかった。
これで練習意欲が増す。5月のJSCAに向け頑張ろう。
畑もカヌーも一緒。ゆっくり一歩づつ。

夜、ブログの更新をしていたら、外から毛遊びの音が。三線と歓声。なんだなんだ、どこかで誰かが遊んでおるな、と嬉しげに外に飛び出す。
が、何の音もしない。音がした窓の方に歩いていってみるも同じ。
ただ、コノハズクが静かに鳴き交わしているだけだ。
さては、マジムンが出たか、と思い、ツバを額に塗って魔除け。
そそくさと部屋に帰る。
今もやっぱり聞こえる毛遊びの音・・・・。
マジムンさえも踊る、今日はいい一日だ。

畑仕事で見た娘の成長に頬濡らす父。

へっぴり腰
しばらくぶりに太陽が出てくれた。今日は仕事もない。なので、朝から畑作業にとりかかる。
これまでは狭い範囲ずつ、50センチほど掘り下げて完全にガヤの根っこを取り去っていたのだが、隣のマサコおばあの助言で、浅くともまずは全体を満遍なく掘り起こすことにした。
それでも、ガヤの根っこはすごい。バチバチと鍬を土から返す度に根っこが千切れる音がして、また力がかかる。
ほんの一時で息が切れた。風邪引きの影響もあるだろう。
が、親子3人でやる畑仕事はやっぱり楽しい。妻は「私、こういう作業好きみたい。ずっとしていたい」と言って、僕が掘りこした土の中からガヤの根っこを無心に引き抜く。娘は全く戦力にならないかと言えば、そうでもなく、取った根っこを集めた箱を、時折、根っこばかり集めている畑の中央の山まで捨てに行ってくれたりしている。
が、時折、人の持っている手鍬や手鋤を奪っては僕らの真似事をする。そのへっぴり腰だけは役に立たない。
単に遊んでくれていたらいいのだが、なんとか一人前にパパママのお手伝いをしてみたいのだろう。
畑作り3月10日
ただし、彼女の畑における一番の大事な役目は、いわく「ミミズのお母さん」。
僕が掘り起こす跡に跳んで現れる巨大なミミズを集めてまわってママゴトよろしく世話をすることだ。「お布団しいてあげましょうね」とミミズに土をかぶせる行動には少しずっこけたが、この遊びは僕が言うまでもなく勝手に自分で始めたので、「遊びの発見」と認められる。ついに遊びを作れるようになったかと思えば、親としてはその成長が嬉しい。

デジカメを預けると写真も上手に撮れるようになった。
写真上手になったね

3歳児にしてはなかなかの傑作だ。ただ、レンズを泥のついた手で触りまくるのだけはよして欲しいが。

今日は頑張って5時過ぎまでかかり、畑とする面積を全て掘り起こした。終えてみるとこれまでチマチマ完璧にやっていたのより、なんだか急に畑らしくなって見えて、嬉しくなった。
これまで先の話をしなかった妻もいきなり、じゃあ何植えようか、と言い出し、早速嬉しそうにポットに土を入れ、様々な種を埋め始めた。
目に見えること。こんなのが大事なんだろうな。
それに途中色々な発見もあり、面白かった。

まずは、勝手生えしていた落花生の発見。可愛らしいマメ科が何本か芽を出している、と何気なく掘ってみたら、その芽は、土中の落花生の殻を突き破り生えていた。それで落花生と分かったのだが、これは嬉しかった。多分、3年前にオジイが植えていたのが、収穫期に土中の落花生を取り残し、一昨年も去年も人知れず花を咲かせて世代更新していたのだろう。
これはポットに埋めなおした。
そして、僕らが芋畑にしようと思っていた一画に既に埋まっていた芋。紅芋の仲間か、肌は白く、中味は白に紫色の斑点が入るという、実に芋らしくない、あるいは野生の芋らしい芋だった。これは妻が古くなって蟻に入られていた芋を捨てた記憶があるらしく、おそらくはそれが、土に根を伸ばし、また芋を形成したのだろうと思われる。
そして一番嬉しかったのが、ブラーミニメクラヘビ。
ブラーミニメクラヘビ

出ない出ないと思っていたら最後に出てきた。地中生活に適した蛇。子供とじっくり観察しました。そしてウンコされました。ヘビに関してはも一つのブログにて。

最後にもう一枚。うちのナリワンガジュマルの気根をひっぱる娘。電気消しましょうね
「電気消しましょうね~、どれが本物かな?」
いいキャラ身に付けてきました。

西表校の田植え

田植え
今日は地元西表小学校中学校(西表校)の田植えだった。
暑い地方なので当然、稲の暦は本土とは異なる。
もともと西表は琉球における唯一最大と言っていいほどの米どころだった。
ほぼ全ての島人が代々この南の島での稲作を営み、継承してきた。
それが、今や稲作農家は数えるほど。
時代の流れだろうか。
それでも、島人は忘れていない。この島の全てが稲作とともにあったことを。
だから、西表校ではお米を作る。学校の田んぼと言われる小さな面積の水田ながら、毎年、先生、生徒、PTA、そして僕ら地域住民が協力して田植えを行う。
その中には本職もいらっしゃる。さすがにその動きは正確無比、無駄なく素早く、隣で苗を植える僕らを圧倒する。出来上がりを畦から見下ろして一目瞭然。素人のものはグニャグニャに列が乱れている。
「手植えさせたら、どこの人も僕らには勝てんよ。ヤマト(本土の人間)では間に合わん。古い機械よりは僕らが早い」
なるほど、つい20年前まで機械のない農業をしていた島の人の言葉は違う。僕ら大和人が手植えをしなくなったのはいつのことか。基本的に一世代がズレテイル。僕の祖父の世代がやっていた古いと言われるようなことを、ここでは、僕の父親世代60前後の人が経験している。父の時代を僕の世代がリアルで体験している。恐るべし。

しかし、今日は本当に寒い日だった。雨が降り風が吹いた。
田植えを終えた子供たちはガタガタ震えて、僕ら大人チームが隣の田んぼでやっている作業が終わるのを待っている。
この日を楽しみにして、遊びに来たうちの3歳の娘も「寒い寒い・・・」と早々と帰ってしまった。
そして、結局風邪をこじらせてしまった。学校の子供たちは大丈夫だったかな。
まあ、この時期はこんな天気がよくある。それでも昔の田植えは今より厳密なよい時期というのがあるから、これぐらいでは休めない。
一方、僕は今日の午前中、自分の畑仕事はお休みにしてしまった。だって寒かったから。

昔の人がすごかったのか、今のぼくらが弱いのか。
でも、久々に田んぼに降りてみて、この感覚、楽しかったな。

畑作り始めました。

今年の春、西表島は例年になく観光客の人が少ない。
うちだけかと思っていたら、他の業者さんも宿もお客さんが少ないと嘆いているようなので、どうも全体に少ないというのは間違いなさそうだ。
それで、僕ら家族はどうしたかというと、頑張って宣伝したりはしなかった。
こんなもんだ、と思うことにしたのだ。
で、妻と相談の結果、「収入が少ない分、支出を抑えましょう。そうですね、畑でもやって野菜は買わなくてもいいようにしましょう。あと、畑で忙しくなれば、あなたもネットをふらふら覗いて、いらないものばかり買わなくて済むようになるでしょう。」と、畑をやることになった。

もともと家の北側の小さなスペースで、ツアーのお客さんに出すソバのトッピング用にエンサイを作ってはいたのだが、今回、南側の60坪ほどを畑にすることにした。
この土地、うちの屋敷に付属した土地ではあるのだが、なぜか屋敷を借りる当初から近くのオバアが畑耕作権を主張していて、彼女はほんの隅っこにニラと2本ほどのバナナの木を植えているだけなのに、返してはくれなかった。そして、2年ほどそのまま放置された後、オバアは別のオジイに畑耕作権を勝手に譲渡して、そのオジイが毎日、うちの庭を通って南の畑に出入りするという状態が続いたのだった。
畑作り2009年3月5日

そのオジイも最初の一年は頑張って色々な野菜を作ってはいたものの、その年の巨大台風で壊滅した畑にすっかり嫌気がさしたのか、全く足を延ばさなくなり、いつの間にか畑はガヤ(チガヤ)に覆われてしまった。草がボウボウに茂っているのを見るに見かねて何度か僕が草刈りをしたが、一向にオジイは作ろうとはしない。
隣のマサコおばあも「あんたが畑作りなさい。勿体無い。あんたのところの畑なんだから」とまるで畑を草ボウボウにしているのは僕の責任みたいな言い方をするもんで、そんじゃ、まあ。という気持ちもあって、ついにガヤの原っぱとなった南の土地に鍬を入れたのである。

とは言っても、いきなり土くれをいじれた訳ではない。まずは、伸びに伸びたガヤをビーバーで刈る。刈ったところが道になっていく。そしてそのまま2,3日乾かす。それを今度は幾つかの山にして集め、風の弱い日に火をつける。
それから、ようやく、実際には鍬を入れられた。
畑の土は固くはなかったものの、とにかくこのガヤの根っこが縦横無尽に張り巡らされていて、しかもそれが50センチほどの地中にまで入り込んでいるので、根っこ取りが大変。掘っては根っこを引き抜き、また掘る。その繰り返し。
作業は遅々として進まない。

半分いやになりながら、が、自分がよし、やろうと言った手前、早くもいやになったとも言い出せず、家事の暇を見ては手伝いに来てくれる妻と、「ねえ、パパ遊んで!」と邪魔をしに来る娘の、それでもその無邪気な笑顔に励まされ、なんとか頑張っているところです。
目標は3月中に畑を畑の形にまで完成させること。
できるかなあ。